役者は演技している自分を完全に客観できないんだから手紙で伝えている

ふと思った。私は何のために手紙を書いているのか。

 

 手紙を書きたいから書くんだけど毎現場・毎公演に出すのがオタクライフワークになっている。

 最初から毎公演出していたわけじゃなかった。全通しても数公演しか書いていなかった。知らないオタクの動きとか知らないし、アフターしたいとか用事のあるオタクにしか明日いる?とか聞かないので他の同担動向わからないから行く公演はほぼ全て手紙を書くことにした。いろんな偶然があってある公演に手紙ゼロというリスクをゼロにするために。

 毎公演ボリュームとボキャブラリー多用なんて私にはできないから、結果的に内容は薄い。それでもその公演、その公演の美点を見つけては1枚書く。まあなんでだろうって思った。

 

 私はファンから手紙をもらったことがある。ファンレター。素性は割愛するけど「貰えること自体」が有難い。大量に貰っていたら有難みも薄まることもあるんだろうけど、私は全くそんなことがないのでかなり嬉しかった。

 内容は自分の創作を肯定してくれる。役者なら演技。私は演じた経験なんて中高の劇でしかないけど演じた自分ってどう見えているかわからない。映像を見たらびっくりするほど大根で驚いた。自分は懸命に演じていたのに乖離している。まあこれは私の学生時代素人の話なんだけど。

 役者は上手い人が多い。人が多いってしたのは察してほしい。憑依とか共存とか色々あるけど役者を見れるのは役者ではなく、観客、つまり私だ。もちろんプロ目線なんてないしエコヒイキする。

 演劇ってプロだけに見せているわけじゃない、とにかく数。会場という限られた箱に座る人全員に見せている。1000キャパでもリアクションをするのはごくわずかの人間。キャパとリアクションは比例するけど絶対的ではない。だから私は観客の一人として見て感じて書く。それが私の手紙。かっこいいとか良かったとか素敵とかしか言えない。単調にならないように気を付けるけど無理。それは落ち込む。

 私の話をすれば、貰うのは肯定が嬉しい。推しへの手紙の話をすれば演出家ではなし、プロの目線も持っていないから肯定する。でも嘘は書かないし悪いところを良いとも書かない。悪いって言うのも程度による。

 手紙を感謝して発信する俳優が好きだ。私ではなくても一つの表現を見てくれていると伝えている行為だ。それは手紙を書いて心の中にある思いを発信していることと同じではないだろうか。

 書かれないと、言われないと、何もリアクションがないと本当に「無い」と同じだ。

 

 自分のできる範囲でこれからも手紙を書いて、感想ツイートして、アンケートを出す。

 毎回手紙を読んでくれてありがとう、推し。

 

マシュマロです↓

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