認知はいらない
大昔に書いたものが出てきた。
今とは違うけど匿名だしいいや。
昔は認知されたらずっとされたくなって必死だった。
初めての接触で認知もらっていて2回目で顔見知り。3回目で名前を呼んでくれて推しはとても頑張ってくれた。カテコで会釈したタイミングであっちも返してくれて胸が高鳴るほど嬉しかった。
その中で名前を覚えてもらったと思ったら次に聞かれて落ち込んだり、外から見たら「リアコ」ではあったんだろうけどリアコ対応に逆に病んだり(認知があるからなんだけど)感情と距離感がごちゃごちゃになってた。
リアコじゃないのにリアコになって結局リアコじゃなかった。(結論)
認知があって楽しいこともあったけど、認知なくてもファンサ舞台でファンサはもらえるし、(思い込み勝ち)認知あるとめんどくさいことが増えて病むので今はいらなくなってきた。
ある推しに認知はされてないしされたくないしいずれされてても知らん顔してほしい。
板の上でキラキラしている。でもそれって推しの何パーセントを見ているんだろう。人を100パーセントを見ることは家族であっても難しい。傷つきたくないからというわけではなく永遠の新規が楽しいからこのままずっと楽しみたい。
そのほうが心身ともに良いはず。
接触はするけど毎回「はじめまして」したい。相手も人間だし、ある程度のファン、ある程度の通いで自然現象に認知は起こるから防げないこともないけど難しい。
オタク全て自分の為でしかないけど。
自分の為のオタクだけど相手に映るという話はまた別なこと。いつも応援ありがとうって言われるけどそんなオタクめちゃくちゃいる。別に現場主義でもないし推しもおそらくそんな感じだから極端な話、フォロワーの数には推しは知られている。(買い取り、複数アカウントフォローもあるんだろうけどフォローしていない人も世の中いるからノーカン)
そんな中で○○ちゃんって知ってもらうってすごく承認欲求満たされるんだよね。わかる。特別なファンサきたときに「あれ、私って特別なの?」とか思う。同担レポ読んで胸痛めるんだけど。私も同じことされたって心の中で叫んで終わり。てか個人間のやり取りレポやチェキ枚数とかネットに書かなくても良くない?マウントっていうか、無益情報だなって。
これからの認知はいらない。認知ある推しにはいい思い出くれたからこれからも特別を味合わせてほしい。よろしく。
舞台俳優って大変だな(笑)とは思う。
役者は演技している自分を完全に客観できないんだから手紙で伝えている
ふと思った。私は何のために手紙を書いているのか。
手紙を書きたいから書くんだけど毎現場・毎公演に出すのがオタクライフワークになっている。
最初から毎公演出していたわけじゃなかった。全通しても数公演しか書いていなかった。知らないオタクの動きとか知らないし、アフターしたいとか用事のあるオタクにしか明日いる?とか聞かないので他の同担動向わからないから行く公演はほぼ全て手紙を書くことにした。いろんな偶然があってある公演に手紙ゼロというリスクをゼロにするために。
毎公演ボリュームとボキャブラリー多用なんて私にはできないから、結果的に内容は薄い。それでもその公演、その公演の美点を見つけては1枚書く。まあなんでだろうって思った。
私はファンから手紙をもらったことがある。ファンレター。素性は割愛するけど「貰えること自体」が有難い。大量に貰っていたら有難みも薄まることもあるんだろうけど、私は全くそんなことがないのでかなり嬉しかった。
内容は自分の創作を肯定してくれる。役者なら演技。私は演じた経験なんて中高の劇でしかないけど演じた自分ってどう見えているかわからない。映像を見たらびっくりするほど大根で驚いた。自分は懸命に演じていたのに乖離している。まあこれは私の学生時代素人の話なんだけど。
役者は上手い人が多い。人が多いってしたのは察してほしい。憑依とか共存とか色々あるけど役者を見れるのは役者ではなく、観客、つまり私だ。もちろんプロ目線なんてないしエコヒイキする。
演劇ってプロだけに見せているわけじゃない、とにかく数。会場という限られた箱に座る人全員に見せている。1000キャパでもリアクションをするのはごくわずかの人間。キャパとリアクションは比例するけど絶対的ではない。だから私は観客の一人として見て感じて書く。それが私の手紙。かっこいいとか良かったとか素敵とかしか言えない。単調にならないように気を付けるけど無理。それは落ち込む。
私の話をすれば、貰うのは肯定が嬉しい。推しへの手紙の話をすれば演出家ではなし、プロの目線も持っていないから肯定する。でも嘘は書かないし悪いところを良いとも書かない。悪いって言うのも程度による。
手紙を感謝して発信する俳優が好きだ。私ではなくても一つの表現を見てくれていると伝えている行為だ。それは手紙を書いて心の中にある思いを発信していることと同じではないだろうか。
書かれないと、言われないと、何もリアクションがないと本当に「無い」と同じだ。
自分のできる範囲でこれからも手紙を書いて、感想ツイートして、アンケートを出す。
毎回手紙を読んでくれてありがとう、推し。
マシュマロです↓
オタクはパンだけで生きるわけじゃない
オタクというか、私。タイトルは元ネタの意図に的を射ていない。
パンが好き。美味しいから食パンのままでも美味しく食べる。他にバター塗ったりジャムつけたり、広義にパンだからあんぱんもカレーぱんもクロワッサンも日によって美味しく食べている。だけど、たまには米もパスタも食べたい。でも米やパスタは何も味付けがないとあまり美味しくない。せめて塩つけたら食べられるけど、できればふりかけや卵かけごはんがいい。納豆は苦手。パスタはカルボナーラが好きすぎてこれしか食べたくない。
こんな感じ?
つまり『推しと比べると推していない気になる俳優』ってなんて言うの?って話。
あのキャラの彼が好きとか、アー活や俳優イベントより舞台の上の演技が見たいとかの俳優がいる。Bと呼ぶ。推しはなんでも行きたくて行くしなんでも観たくて観る。でもBは推しと同程度の応援はしないから、推しを推しとすると推していないから『演技が好きな俳優』や『キャラ推し』って言えばいいのかな、って迷う。
その時、Bを『推し』にしている人と同列にいるわけではなく、私は後方の指定席に座って好きなところかいつまんで満足する。
だけど、前方の人が後ろ振り向いてこっちを睨むこともあるよね。推しの共演者で他の演技が気になった俳優がいて次の舞台を観に行こうとした。ただ、一度だけ取引程度で会ったその俳優のオタクC(フォロワー)にはなんて言えばわかんなくて黙って行った。ぶっちゃけ、私はオタクCの顔を忘れていたから、向こうもそうだろうくらいに思っていた。けどオタクCは私の顔を覚えていた。そして、観劇した当日にブロックされたことがある。認知の早いオタクだった。
このこと関係なく、推しの現場が忙しくなってその俳優の舞台は以来行くことはなかった。まあ私は狡かった。私は大丈夫とかいう問題ではないし。言いにくい。○○くんの演技気になるから次の舞台行こうと思うんだと気軽に言える友人じゃなかった。
ここまで書いてひらめいたんだけど、これが『茶の間』なのかな。
思うのは一概に茶の間なんてわかんない。遠征でも都内住みでも現場の他に誰しも生活がある。だから全通しているオタクが凄いとか、公演期間中1度しか観ないから茶の間って自他とも言うのはそうか?ってなる。全通マウント(全通したことを聞いてもいないのに誇示してくる)のは誇れることじゃないって思っているから全通してもしない。たまたま時間が空いて運が良くて金銭が間に合ったんだっていう私の中の私の認識。こんなこと思っていることが嫌味に捉えられそうだから誰にも言ってないけど。
強い、弱いとか言うけど、私にとっては自分が推し方に満足しているかどうか。
話が逸れていた。茶の間の推し(暫定名称)だと接触に行かないことが多いから、より程よい距離感になる。さらにより偶像度があがる。私の推しに対してもSNSだけで満足している人がいるなら現場来なくてもいいや。来てもらうのは推しが頑張ることだし。
気になる俳優だけじゃなくて舞台もいっぱいある。時間とお金が無限発生したらいいのに。
パンの毎日の中、たまに米食べてパスタ食べて色々楽しんで、また推しを推したい。
マシュマロです↓
私的な同担の友達との付き合い方
あけましておめでとうございます。
若手俳優ブログだと同担拒否ってよく見るんだけど私は同担に友達がいるという話。みんな大好き〜というわけじゃないし、同担たくさんいるからざっくりとわける。
- 友達
- 知り合い
- 知らない人
タイトルに〜方と偉そうに書いたけどタイトル詐欺!気の合う友達とこんな風に付き合ってるよってだけ。
同担拒否の方は同担拒否でいいと思う。同担拒否の方に同担友達推奨する記事ではない。
友達
かっこつけると(?)身内。私はもう心からオタクとして幸せになってほしいし普通に友達として付き合ってる。推しのことを永遠に話せるから楽しい。連番するし協力も多い。
知り合いは現場で挨拶する方々、知らない人は言葉の通り。同担拒否だと辛いかなって話しかけることはあまりない。
友達付き合いで気をつけていること。
①マウントと捉えられてしまう会話はしない
多分、相手も気をつけていると思う。相手が聞いて楽しくない会話はしたくない。具体的に言うとファンサとか。個人的には身内のファンサ話は純粋に嬉しいから好きだけど仮に私が話して相手が好きとは限らないから聞かないししない。
②スタンスはそれぞれあることを理解し、尊重する
これは友達だけじゃなくて同担も他担もそう思っている。別に他人が行けないことは悪じゃない。行きたいけど行けないという言葉を俳優本人に言う必要は無いけど言ったからといって無関心(?) 行きたいときに使いたいだけ楽しめばいい。私に他人をとやかく言う・思う資格もないし。友達が全然来なくなったら私の気持ちは寂しいって思うけどその友達の事情があるんだな、また行きたくなったら行けるときに楽しもうねってなって完。
③人に優しくを実現する
これは所によって実際難しいところもあるけど、友達を手伝えるなら手伝いたい。例えばチケットやブロマイドとか。ブロマイドは友達が集めていたら協力したい。言葉はやばいけど利用してもらってもかまわない。例えば代行やレポとか。レポはイベントや舞台の見たものを淡々と書く。お節介や見たくないとか事情があるだろうから求められたらかな。持ちつ持たれつ。普段一緒にいて楽しいから具体的な見返りはいらない。
④約束や金銭に責任を持つ
いやこれも人として当たり前なんだけど特に意識して気をつけている。
友達が〜って主語にしてるけど知り合いも知らない人も①〜④は変わらない。思い思いに現場を楽しんでほしい。
これはヤバ・オタクがいないから言えることかもしれない(?) いないのが1番。
同担友達がいてよかったこと
①推しの話が永遠に出来て楽しい
いやもうこれ。聞くのも話すのも楽しい。もちろん、絶対的前提として推しを観に行っている。これはどんなに良い友達であっても現場絡みは推し目的最優先。気をつかっているのか本気なのかわからないけど、友達が行くから現場行くとか、友達に会うために現場に行くとかは冗談でも言わない。そう思わないし行かないときは推しのモチベだと思う。
②現場が同じ
それはそう。推し事終わって予定合ったらオフして推しの話しまくって酒飲んで沸く。1人でも苦じゃないオタクだけど同担・他担と現場にオタク友達いるともっと楽しい。他担だとグル除いて現場被らないと来てもらうしかないから温度差がある場合ある。なので同担だと当たり前に現場同じだから嬉しい。
③チケットの協力ができる
現場が同じだからチケットの協力できる。1つのパイを争うくらいになったことがないからかもしれない。外れたら救いたい救えるし救われたこともある。圧倒的感謝。
こんなこと書きながら損得で付き合っているわけじゃないことはわかってほしい。ふつうに友達。現場で意気投合して気が合うか合わないかは推し被りじゃないと思った記事だ。推しをきっかけに出会えてよかった。
推し、ありがとう。
マシュマロです↓
個人ブロマイドが枯れた推しからありがとうって言われた
どこかの舞台俳優のオタクAの2019年振り返り備忘録。
今年、初めて個人ブロマイドを全部買った。一部では「枯らす」と言われる行為。私は初日から千秋楽まで枯らそうって思わなかった。というか枯れると思っていた。そのくらい推しの演技が素晴らしくてこれは全人類がファンになる……って本気で信じた。
しかし、あったのだ。ブロマイドが千秋楽が終わってもまだそこに。終演後に買い忘れてない?
千秋楽はカーテンコールまで良かった。いや、毎日毎公演良かった。それは冷静に考えれば推し盲目フィルターがかかっていたのだが、前回や前々回の舞台よりも演技の幅が広がったことを知っているからこそ泣いて感動した。
だから全てが終わった千秋楽後に居ても立っても居られなくて推しの個人ブロマイドを買い切った。
その物販のやり取り。
私「推し、何セットありますか?」
物販の人「すみません、こちらからはお答えできません」
私「じゃあ、10ください」
物販の人「はい」
購入。
私「まだありますよね?」
物販の人「ここにはあと4セット……あ、倉庫見てきます」
少し待つ。
物販の人「ありました」またも枚数を教えてくれないのでここから競りのようになった。
私「じゃあ20ください!」
物販の人「はい、用意します」
購入。
私「まだありますよね?」
物販の人「ありますね」
私「うーん(ガチ無限にあったら流石に無理だけど……)今の倍の40ありますか?」
物販の人「……ありました」
購入。
私「まだありますか?」
物販の人「ありますね」
私「じゃあ――」
と繰り返して最後には追加100!って言ったら残り20もなくて一人心の中で笑った。
※フェイク有り
合計何枚だとかをここで記すこともしないけど、枯れたときには虚無一つもなくて達成感しかなかった。後悔は今もない。終演後なのでSNSに速報が載ることはない。ただ推しには伝えたくて手紙に書いた。
『演技が最高すぎて終演後にブロマイド全部買っちゃった!』
(推しと私はお互いタメ口の了承がある)
とちょっと脳が融けたような手紙を出した。
しばらくしてイベントの接触にて推しと話せる機会があった。
こんにちは~から始まってこの前の舞台良かったよって伝えたら
推し「ブロマイド全部買ったんでしょ?ありがとう!嬉しかった。俺、愛されてるなあ」
私「うん!推しくんはそのくらいの価値ある役者なんだよ!」
本気でこの話が出ると思わなかった。誘導したわけでもない。感謝を伝えてくれる推しだけどこのテーマに触れるとは。配慮をしてくれた推しに驚き、素直に嬉しかった。
人間って見返りを求めるからファンサが欲しいという気持ちに何も罪はないと思う。行為がもらえるなら欲しいけど今回の場合は舞台にいる推しが良すぎてそれがファンサだった。だからそのお礼として個ブロを買った。ここでwin-winだったのにかなりのプラスアルファを貰った。
これを外部にペラペラ言えば『マウント』だと受け取られるし、話して何も意味がないので理解のある非オタ友人にしか話していない。推しだってもう忘れてると思う。
どのくらいあるのか見当もつかなくて堂々と全部あるだけくださいって言えるほどの余裕もない。TOでもないただのオタクだけど枯らせてよかったなあ。
ちなみに味は占めていません。自分の優先順位をみて購入しています。自分が楽しむためにオタクしているからチケットが最優先だったりする。それでも2019年でたった1度ブロマイドが枯れて満足したなあという懐古をしただけでした。
制作側には終演後という忙しいところに手間を取らせてしまって申し訳ないです。ごめんなさい。
マシュマロです↓